
阿弥陀寺『御三階』
御三階はかつては鶴ヶ城本丸内にあった建物で、戊申戦争後この地に移築されました。外観は3層でも中は4層となっており、密議などに使用されたものです。
また、阿弥陀寺には、新撰組三番隊隊長・斉藤一をはじめ、戊辰戦争で東軍(幕府軍)に与した殉職者の墓があります。
<七日町駅徒歩1分>
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神明通りの東裏手、興徳寺 内
蒲生氏郷の墓
蒲生氏郷 (1556〜1595)は近江日野出身の戦国武将です。13歳で織田信長の人質として岐阜に過ごしましたが、才を認められ信長の娘冬姫を娶り、多くの戦功を上げました。
秀吉の時代、伊勢より会津拝領を命じられ92万石を与えられます。氏郷は信長亡き後は秀吉についていましたが、秀吉は氏郷の才能と野心を怖れており、都から遠い奥州に封じました。
氏郷は、「黒川」を「若松」と改め、城、城下の整備を行いました。また、漆器、ろうそく、生地や焼き物など現在の会津名産となる産業を推奨し、さらに故郷近江日野や前任地伊勢松阪から商人を招き、全国に販売させ、会津に大きな経済的発展を導いています。
文武両道に長けた氏郷は、40歳で亡くなりました。一説には秀吉の策略によって毒殺された、ともいわれていますが、真相は謎のままです。
もし、会津鉄道方面(芦ノ牧温泉方面)から若松市街へいらしたのなら、会津若松駅の一つ手前、この「七日町」駅で下車されるのも一考。駅を出ればそこが七日町通りです。
蒲生氏郷の町づくり氏郷が作り上げた若松市内の町割りは少し特徴があります。交差点が素直な十字路ではないのです。
当時道に沿って用水路が流れており、その交点で流れを妨げないため、ともいわれますが、同じく氏郷が手がけた前任地である伊勢松阪の城下町と大変似通ってます。
松阪は「二丁先を隠す」すなわち、城下町も城郭として敵の侵入を妨げる事を目的として町割りがなされました。
氏郷が活躍した「戦国の世の町作り」故の四つ辻構造と言えるでしょう。
ただ、お車で入り込むにはちょっとやっかいです。






